俳優のノート
山崎努著
巻末のことから話題にするには些か反則かもしれないが、俳優の香川照之氏が書かれている〈解説〉で、この書を評して「全ての俳優の教科書である」。演奏家である私は、全ての音楽家の教科書でもあるという認識に至った。
本書は、山崎努さんが1998年に新国でリア王を演じられた時の記録で、準備、稽古、公演の3つの時期を日記のような形で語られている。
台本を深く読み、掘り下げ、背景を様々な角度からイメージし、リア王の過酷な運命を自分のことと引き受けて、人物像を創り上げてゆく厳しい過程。稽古での人とのやり取りの中で、実験を重ねながら新たな「リア王」を生み出しては壊しまた生み出す、創造的破壊作業。そしていよいよ開幕—。今度は観客が加わり本番だ。自己を徹底的に見つめ、言葉の持つ隠れた意味を全身全霊で表現する。
敬愛するアルフレッド・ブレンデルが、「音楽は演劇だ」と常々言っていた。若い頃は想像がつかなかったが、今は「楽譜が我々の台本であり台詞である」と理解できる。この台詞の重み、否、この音の重み、そして意味。どう考えて実践してゆくべきかを山崎努先生に導かれる、何度でも読み返したい名著だ。
残念ながら彼の舞台を見たことがないが、黒澤明監督の「天国と地獄」で演じている誘拐犯は、狂気が全身から立ち昇ってくる恐るべき名演だった。また数年前演じられた、画家の熊谷守一「モリのいる場所」は、樹木希林さんとの絶妙な夫婦もユーモラスで楽しかったが、自分の家の庭の森の中に、ミクロからマクロを見出すその眼差しが、純潔すぎて、やはり狂気の純潔で、この方が見ている世界の計り知れない感じが、強烈な印象だった。